しゅんちは大の勉強嫌いである。 勉強といっても色々あるが、特に学校で習う勉強が嫌いなのだ。 学校で習う勉強というのはどうも理不尽な事が多すぎると思うのである。
例えば歴史の問題。 テストで出題される問題はその出来事のあった年数と名前だけを覚えさせ、誰がどういう思惑で起こったのかというのは二の次である。 それは本で例えるなら本の内容よりも本のページ数と題名だけを覚えるようなものである。 本の題名とページ数の多さだけでその歴史を知った気になってしまうのである。 これで本当に為になるものなのか疑わしいと思ってしまう。
次に英語。 外国人と話が出来るようになるというよりも、文法や単語ばかりを覚えさせる。 学校で習う英語は日常会話に使われることはほとんどないと聞く。 例えば
「腹が減ったなぁ」
という言葉も
「徐々に空腹になりつつある」
と回りくどく憶えさせる。 もうまさに「英語」というよりも「英語理論研究」という名前に変えたほうがいいのではないだろうか。 ただ、間違いなく嫌いな教科第1位に躍り出そうだが。
そして数学。 小学校の時に掛け算の授業で
3×4=12
という問題は
りんごが3個乗った皿が4枚あるので答えは12個。
という風に習った。 しかし、中学になるといきなりこの問題である。
−3×−4=12
りんごがマイナス3個乗った皿がマイナス4枚あるので答えは12個。
もうわけわからん。
マイナスという表現自体が意味が分からないのである。 一般生活においてマイナスといえば借金かマイナス思考かマイナスイオンぐらいなものである。 まあ実際はマイナスイオンもよくわかってないという話は置いといて・・・。
まず、りんごがマイナス3個というのが意味不明なのである。
・・八百屋に代金は払ったがまだ手元に3個ない。
で、
・・食器屋にも代金は払ったがまだ4皿手元にはない。
・・いずれ手元に届くだろうから合計で12個?
???
でもまてよ・・・
皿が4枚来なくてもりんごだけ先に届いてもりんごの数は12個・・・
マイナス4皿はどこへ・・・?
?????
ごめん。頭から煙出てきた。
そもそも掛け算をりんごと皿で例えた時点が間違っていたのである。 しかし今さら小学校で憶えたのは忘れて、次からは考え方を変えましょうというのが理不尽に思えてしまうのだ。
・・そんなある日、これらの不満を友人のしょうちゃんに話してみることにした。 実はしょうちゃんは学校の先生である。
かなり無謀な挑戦。
それでも日本の教育に立ち向かってみるしゅんちであった。
しゅんち「マイナス掛けるマイナスがプラスになるってのが意味わかんないんだよ!」
しょう「う〜ん。」
しゅんち「マイナスにマイナスを掛けたらもっとマイナスになりそうじゃん!」
しょう「そう言われるとねぇ・・・」
しゅんち「そんなのを今日から憶えましょうってのが理不尽なんだよ!」
しょう「まあねぇ・・・」
しゅんち「借金(マイナス)に借金(マイナス)を掛けたら倒産(マイナス)くらいになりそうじゃん!」
しょう「でもさ・・・」
しゅんち「ん?」
しょう「後ろ向き(マイナス)で後ろに(マイナス)歩いたら前に(プラス)進まない?」
納得。
この上なく納得。
しょうちゃんの一言に完全に打ち負かされたしゅんち。 中学校の時、是非しょうちゃんに教わっておけばよかった・・・。
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