shunchi極楽旅行記


第3日目 AM 8:00〜

今日の予定としては盛岡市に行き、その後南下してフカヒレで有名な宮城県の気仙沼市に行く予定である。
残念ながらユッキーとエミママはここで別行動となるのであった。

朝食バイキングを食べた後、荷物をまとめチェックアウトしながらホテルのロビーでくつろいだ。
しばらく取り留めの無い話をしたあと名残惜しそうに父が皆に声をかける。

父「じゃあ、そろそろ行きますかね。」

幹事父の一言で皆が立ち上がりそれぞれの車に乗り込む。
車に乗り込んだ後、窓を開けユッキーとエミママに挨拶するしゅんち。

ユッキー「それじゃーまた!」

エミママ「しゅんちさんまた会いましょうね!」

窓から手を差し伸べて握手して別れを惜しむ。
なんだか寂しい気持ちである。

父「じゃあ、途中までそちらについて行きますんで。」

ユッキーたちはこの後、青森県の十和田湖に行くらしい。

2台に分かれた車は出発し、ホテルの駐車場を出る。
道が分かれるまでユッキーたちの車の後を付いていくことに。

どこまで一緒に行けるんだろうか・・・。

ユッキー達の車のブレーキランプを眺めながらそんなことを考えた。


母「あーーーー!!」

しゅんち「な、なに・・・?」

母「お父さん!ホテルに戻って!」

父「な、なんだ?どうした?」

母「大事なもの忘れちゃったのよ!

父「な、何だ一体!?」

母「とにかく引き返して!」




強制別離。


母の失態でユッキーたちの車ともあっさりと別れてしまったのだった・・・。


AM11:00〜

あっけない別れの後、しばらく車を盛岡方面に走らせた。
そして、途中の道の駅「にしね」でトイレ休憩をすることにした。

「道の駅 にしね」

入り口では何やら海産物を網焼きしているらしく、香ばしい匂いが鼻をくすぐった。
おみやげコーナーも充実しているらしく、しゅんちはトイレを済ませた後すぐに飛びついた。

おみやげコーナーには野菜なども並べられ、なんとなくスーパーのような雰囲気を出していた。
ひょっとしたら、近所の住民が利用しているのだろうか。

どうも特産は「ほうれん草」らしく食堂にはほうれんそうソフトやほうれんそうカレーなどがあった。

兄「しゅんちしゅんち!ちょっとこっち来て。」

しゅんち「ん?何?」




兄「見ろ。」

「ほうれんそう音頭」

やりすぎでは・・・?

「盛岡市到着」

道の駅を後にし、一行は盛岡市に到着。
車を適当なパーキングに止め、市内観光へと繰り出したのだ。

「岩手銀行」

同じ日本とはいえ、お店や看板がまるっきり違っててまるで異国に来たようだ。

「盛岡の町」

「石割桜」

観光名所である石割桜に到着。
大きな岩を割って咲いたというど根性桜である。
盛岡裁判所前にあるこの桜は盛岡市のシンボルであるらしい。
残念ながら季節的に花は咲いていなかったが、春には立派に花を咲かせるらしい。見てみたい。

「南部せんべい屋 白沢せんべい店」

岩手と言えば南部せんべい。
なぜ東北なのに南部なのかである。
ジャンクフード好きのしゅんちはいの一番に店に入る。

「南部せんべいがいっぱい」

店内にはさまざまな種類のせんべいが所狭しとぎっしり並んでいる。
南部せんべいとは亀田などの米で出来ているせんべいとは違い小麦粉でできているらしい。
味も様々で、ごま、ピーナッツ、しょうゆ、カレー、えび、大豆、かぼちゃ、アーモンド。
さらにはひまわりなんていうのもあった。

試食が出来るようになっていて、早速食べてみるしゅんち。

しゅんち「パリッ・・・う、うまい!!なんじゃこれ!!」

意外なうまさに驚くしゅんち。
正直なところ見た目にもうまいのかどうか疑っていたしゅんちであったが、一口で南部せんべいの虜である。

どうも南部せんべいにはパリッと香ばしいタイプとサクッとしたクッキーに近い感じの2タイプあるらしい。
前者のパリッとしたタイプがかなり気に入った。
旅行が楽しくすっかり太っ腹モードになっている母におねだりし、11種類詰め合わせセットをゲットしたのだった。

「せんべい工場」

外から工場が覗けたので撮影。(いいのか?)
手際よく一個一個積み上げていく職人のおばさんたち。
こうやってあのミラクルな南部せんべいが作られていくのだと感動するしゅんち。

南部せんべいにすっかり魅了されてしまった一行であった。

「わんこそば屋 東家」

他に盛岡といえば「盛岡冷麺」と「わんこそば」。
父にどちらが食べたいか聞かれたしゅんちだったが、ネタ的にわんこそばが面白そうだったのでそちらをチョイス。

「戦闘準備」

店内に通されると店じゅうに歴代のわんこそば杯数が掲げられていた。
200やら300やらととんでもない数字が書かれており、食べる前からめまいがした。

席に着くと、給仕のおばさんが軽く説明してくれた。
そばを食べると給仕が間髪いれずに次のそばをお椀に投げ込んでくるらしい。
ルールとしてはお椀に入ったそばは必ず食べなくてはならない。
終了するときはお椀にフタを閉めなくてはならないのだが、閉める前に入れられてしまうと終われない。
ここが給仕との戦いである。

一度経験済みの父によると給仕の目をそらした隙にフタを閉めるらしい。なんだかドキドキしてくる。
そしてたくさん食べるコツは「噛まずに飲むこと」らしい。
量的にいうと15杯でかけそば1杯分になるそうだ。

前掛けを渡され全員装着し準備完了。

まずはおかずのお刺身が運ばれてきた。
皆はおいしそうにそれを食べたが、しゅんちはそばに集中するために食べずに・・・いや、一切れだけ食べた。

そしていよいよ給仕のおばさんがお盆にたくさんのそばの入ったお椀を乗せてやってきた。


いよいよ戦闘開始。


手に持っているお椀に本数を軽く数えられるほど少量のそばが投入される。
しゅんちは記念すべき第一杯目を一瞬でずるっと食す。

・・麺は暖かくやらかめで「噛まずに飲む」ということが楽に出来そうだ。
だし汁をあまり飲まないように麺だけを食べる事に集中した。

目の前には開いたお椀が次々に積まれていく。
まるで、TVチャンピオンの大食い選手権にでも出てるような気分である。

20・・・30・・・と次々にお椀を積み上げていくしゅんち。
とりあえず50杯くらいは突破したい。

脳が満腹信号を出す前、まさにスピード勝負である。
ただひたすらお椀の中を見つめテンポ良く食べていくしゅんち。

・・目標の50を見事突破し、あとは記録への挑戦である。
そろそろ満腹感が押し寄せてきた。
だんだんニコニコしている給仕のおばさんの存在が恐ろしくなってきたしゅんち。

給仕「まだいけますよ!はい!どうぞ!」

苦しそうな顔をしたら格好の餌食である。
しゅんちが60杯目に差し掛かった頃、兄や母がアコちゃんがあっさりと蓋をした。

まてよ・・・



このままがんばって食べ続けて・・・



1人だけ残されたとする・・・。



胃袋限界地点で・・・



集中砲火!?


一気に青ざめるしゅんち。
やばい・・・そろそろ今後の身の振り方を考えなくては。

お椀の影からちらちらと給仕の動きをチェックするしゅんち。
しゅんちはタイミングを見計らおうとそばをゆっくり食べた。

給仕「あら?どうしました?ペース落ちてますよ!はい食べて!」


給仕恐ろしや。


こちらの思惑など完全にお見通しである。
やはり食べながらタイミングを見計らうしかないのか・・・?

その時、給仕が父のお椀にそばを投げ入れた。


あ・・・


今だ!父ちゃんごめん!


ズルッ!(そばを一気にすする音)ピシャ!(慌てて蓋を閉める音)


父に全てを託し(?)蓋を閉めたしゅんち。
なんとも薄情者である。

父「いやいや〜そろそろ限界かな?」

しゅんち「父ちゃん今何杯目?」

父「ん〜 今、40くらいじゃねえか?」

しゅんち「な、なんでそんなにスローペースなんだ?」

父「いやだってさ、おまえが横ですごい勢いで食べてるから最後に残されたら気の毒だと思ってさ。」

なんと父は全て計画済みだったのだ。
そして、給仕がそばを取りに行ってる間にあっさりと蓋を閉めて終了。

しゅんちの記録・・・





78杯完食。

兄や父は60杯前後。
母とアコちゃんは30杯前後の記録であった。
なかなかの高記録に腹も気持ちも大満腹であった。

「ごちそうさま(満腹の為手ブレ)


PM 2:00〜

わんこそばですっかり重くなった腹を減らす為、一行はお寺めぐりをした。
盛岡の有名なお寺といえば「中尊寺」(ちゅうそんじ)である。

「中尊寺 月見坂」

国道から少し脇道に入ったところの有料駐車場に車を止め、一行は本堂のある場所へと坂道を歩いた。
どうやら、この杉並木が立ち並ぶ坂こそが「月見坂」有名らしい。

どうもしゅんちがまだ小さい頃に家族で一度来たことがあるらしく、母が懐かしい懐かしいとそれこそお経のように唱えていた。
一方しゅんちは、中学生の頃隣のクラスにいた中村君が「ちゅうそん」というあだ名だったなぁとどうでもいい事を考えていた。

母「あんた憶えてない?まだこーーんなに小さい頃だったけどね。」

しゅんち「うーん。どうかなぁ・・・。」

小さい頃に行ったことのある寺を憶えているということ自体無理がある。

母「ほら!アルバムに写真あったでしょ!?あのお兄ちゃんとペアルックのチョッキ着てさ。」

しゅんち「ああ・・・なんとなく思い出したかも。」

母「でしょ!?」

なんとなく思い出したような気分になるしゅんちだった。

「中尊寺 本堂」

しばらく坂を登り本堂に到着。
しかしどうもメインはここではなくもう少し奥にある「金色堂」であるらしい。

金色堂は今から900年程昔、12世紀頃に東北地方を治めていた奥州藤原清衡公が建てたとのこと。
黄金で作られた豪華な寺の中には藤原氏のミイラが安置されているらしい。

しかし、思いのほか高かった入場料に面食らい外観だけ眺めて終了。

「毛越寺」

中尊寺を後にし、すぐそばにある毛越寺(もうつうじ)にも寄った。
こちらも藤原氏が建立したお寺だが、有名なのはその庭園とのこと。

「庭園」

極楽浄土の庭園と呼ばれているらしく、四季によってさまざまに彩られるらしい。
この全てが昔の人の手によって創られたとは贅沢である。

「誰かに似てる・・・?」

どこかで会ったことのありそうな人に似た地蔵を発見。
思わず激写。誰だっけ・・・?

・・こうして一行はお寺めぐりを楽しんだ。
そして、今夜の宿泊地の気仙沼に向けて出発したのだった。


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